BASSBOND   淀川 琵琶湖

淀川、琵琶湖及び野池をメインに関西のフィールドを放浪するビンボーバサーが発信する釣り情報と釣行記録

瀬田川洗堰の歴史

みなさんこんにちは。

 

だんだん寒くなってきましたね。

急に気温が下がってきたので風邪などひかないように気を付けてください。

以上、喉痛男子からの注意勧告でした笑

 

さて、最近「瀬田川洗堰操作規則制定までの道のり」というものを読みました。

http://www.water.go.jp/kansai/biwako/PDF/sousakisoku-araizeki.pdf

 

17ページくらいなので読めなくはないと思いますがこっちでも内容をかいつまみ、補足しながら書こうと思います。

 

ちなみに洗堰はアライゼキと読みます。地味に読みにくいですよね。。

 

 

 

 

淀川水系(淀川、琵琶湖水系)の大きさ

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琵琶湖、淀川水系は近畿地方の兵庫県を除く2府4県を流れており、その流域面積は8,240㎡あるようです。

 

中でも琵琶湖の流域面積は3,848㎡あるようです。(内琵琶湖は647㎡

 

ちなみに利根川水系(霞ヶ浦など)は16,840㎡で全国1位です。

 

よく滋賀県民が京都、大阪府民に言う「琵琶湖の水止めたんぞ!」

っていうのは実際止められたら困る話で、渇水時の貯水池としての役割を果たしており、逆に「瀬田川洗堰ガンガン開けたんぞ!」(っていう人はいないですが)

って言われても京都、大阪府民が洪水でえらいことになってしまいます。

琵琶湖が大雨の時などの水位調整に一役買ってくれてるんですね。

 

琵琶湖ありがとう。

 

 

琵琶湖の水位(流入河川、流出河川)

 

流入、流出河川の本数

琵琶湖の流入河川、流出河川ってどれくらいあるか知ってますか?

 

流入河川は今年(2017年)の台風5号で氾濫した姉川や安曇川(あどがわ)、湖東に流入する野洲川など1級河川だけでも118本(別の書籍では119本になっていますが)あり、小さいのも含めると500近い河川が流入しています。

 

これに対し、流出河川は瀬田川1本のみです。

知ってた人はそらそーやろって感じですが知らない人からすると結構びっくり?ですよね

 

流入水量と流出水量

 

今年の台風5号もすごかったですが資料がないので平成25年の台風18号の大豪雨で言うと、琵琶湖への流入量は6,000㎥/秒にものぼりました。

それに対し、流出量は瀬田川の洗堰の前回放流量である800㎥/秒が限度になっています。

 

水位調整

 

じゃあ琵琶湖の水位は増える一方やないかい!!

となりますが、勿論ずっと降り続けるのであればそうなんですが、実際は長くて数日ですので、下流域に当たる淀川水系との水位の兼ね合いで一旦は琵琶湖水位も上昇しますが徐々に平常水位になるように調整されます。

 

具体的に言うと、淀川水系では雨が降るとすぐに水位がガッと上昇します。

それに引き換え琵琶湖ではそもそもの面積が桁違いなのと一旦流入河川が水位上昇し、それが徐々に流れてくるのでゆっくり上昇することになります。

もちろん流出河川は1本なので水位減少おゆっくりです。

 

グラフで言うとこのような感じです

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http://www.water.go.jp/kansai/biwako/PDF/sousakisoku-araizeki.pdf

 

そのため、淀川が水位上昇している間は琵琶湖でせき止め、淀川が落ち着くに従い琵琶湖から徐々に流出させて水位を平常に戻していくという事になります。

 

 

瀬田川洗堰の歴史

瀬田川洗堰の歴史を語るには奈良時代、あの奈良の大仏を作った行基までさかのぼるようです。もちろんこのころは堰もないですけどね。

その後江戸時代、明治時代と時は進みます。

明治時代、淀川下流域では明治18年、22年(1885年、1889年)と大水害に見舞われ、琵琶湖沿岸でも明治17年、18年、22年と大洪水に見舞われ、さらに明治29年9月には10日間で滋賀県の年間雨量1,900mmの半分を超える1,008mmもの降雨が10日間で起こり、琵琶湖の平均水位が3.76mも上がる未曽有の大洪水に見舞われました。これにより彦根市の80%、大津市中心部は全浸水等被害は237日間にも及んだそうです。

 

これにより同29年、河川法が制定され、国内で初めて近代建築技術を取り入れた治水工事が淀川で始まり、新淀川の開削、毛馬閘門の設置や宇治川が他の2川(桂川、木津川)と合流する前にあった巨椋池(現在は干拓済み)を分離し三川合流地点を下流に持ってくる工事が行われ、ここで初めて瀬田川に南郷洗堰が設置されました。これが明治38年のことです。また瀬田川の浚渫工事も行われ徐々に放流量が増えていくことになります。

 

その後堰上流側の滋賀県と下流側の京都府、大阪府とで堰の開け閉めに関してひと悶着ふた悶着あったようですがそれに関しては割愛。。

 

その後、昭和36年に現洗堰が完成し、浚渫工事なども進み現在の放流量へと変遷していくことになります。

 

滋賀と京都が仲悪いといわれるのはここから来ているのかもしれませんね…。

私は大阪の北東端、京都府との境くらいに住んでいますが、滋賀も京都も好きですけどね

 

放流量の変遷

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放流量の変遷は原文が分かりやすいのでそのまま使わせていただきます。

 

当初は50㎥/秒だったものが工事が進み、今では800㎥/秒

 

また降る前に事前に水位下げといて許容を増やしておくなど、技術の進歩はすごいものです。。

 

これから放流量を見るときは釣りだけじゃなくてこういう事なんだなって思いながら数値を見れますね。

 

 

あとがき

とまぁ真面目?なバス釣りに関係あるようなないような内容ですが、原文に少し補足しながらサクッと?書いてみました。

 

興味ある方は1度読んでみてはいかがでしょうか

 

http://www.water.go.jp/kansai/biwako/PDF/sousakisoku-araizeki.pdf